
ベスト11に見るJリーグの歴史(3)2010年代編
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まずは、過去のベスト11にまつわるクイズから始めたい。その答えを知れば、Jリーグ史の新たな側面が見えてくるはずだ。
Q1:これまでベスト11に選ばれた選手のうち、最も低い順位のクラブから選ばれたのは?
Q2:2回以上ベスト11に選ばれた選手のなかで、最も長いブランクを経て再受賞したのは?
Q3:1シーズンで最も多くのクラブからベスト11が選ばれた年は?
Q4:過去、2年連続で外国人選手がひとりもベスト11に選ばれなかったことがある。○か、×か?
Q5:過去、優勝クラブ以外から最多6人がベスト11に選出されたシーズンが3回ある。1998年のジュビロ磐田、1999年の清水エスパルスと、もう1回は何年のどこのクラブか?
Q6:通算で最も多くの選手がベスト11に選ばれているクラブは?
Q7:J1経験があるクラブの中で、ベスト11に選ばれた選手がいないクラブをすべて挙げよ。
1993年の創設以来、ヴェルディ川崎の黄金時代、鹿島アントラーズとジュビロ磐田の"2強時代"を経て、2000年代から徐々に群雄割拠の時代に入ったJリーグだが、それが加速したのが2010年代である。
この10年で、2010年の名古屋グランパス、2011年の柏レイソル、2012年のサンフレッチェ広島、2017年の川崎フロンターレと、4クラブが初優勝。その一方で、2012年のガンバ大阪、2014年のセレッソ大阪、2018年の柏のように、前年には上位争いしていたクラブがたちまち低迷し、J2へ降格してしまうという事態も発生している。
何が起きても不思議ではない。それが、2010年代のJリーグだった。
そんななか、ベスト11選考でも、普通はあまりないようなことが起きている。
2012年、G大阪は17位に終わり、J2へ自動降格となった。直近3シーズンの成績は3、2、3位だっただけに、にわかには信じがたい、まさかのJ2降格である。
しかも、その"まさか"をさらに強調するように、G大阪から遠藤保仁がベスト11に選ばれたのである。過去にふた桁順位のクラブから選出される例は決して少なくなかったが、17位ともなると、異例中の異例。やはり、と言うべきか、そのシーズンのJ2降格クラブからベスト11が選ばれた例は、遠藤の他に、2011年のハーフナー・マイク(ヴァンフォーレ甲府=16位)があるだけだ(Q1の答え=遠藤保仁)。
同じ2012年には、もうひとつ意外な記録も生まれている。
このシーズンは、初優勝した広島から最多の5人がベスト11に選出されているのだが、そのひとりが、MVP、得点王とともに"個人三冠"を獲得した佐藤寿人。佐藤にとっては、これが2005年以来7年ぶりのベスト11選出であり、2008年の柳沢敦(京都サンガ)と並ぶ、最長ブランクのタイ記録だったのである。いかに佐藤が息長く、第一線で活躍し続けているかを物語る記録だろう。
ところが、翌2013年、これを大きく更新する最長ブランク記録が打ち立てられた。
その3年前にJリーグに復帰していた中村俊輔(横浜F・マリノス)が、2000年以来13年ぶりとなるベスト11に選ばれたのである。
8年もヨーロッパへ行っていたのだからそうでしょう、と言われてしまえばそれまでだが、22歳と35歳でそれぞれベスト11に選ばれるのは簡単なことではない。これから先、現役の最後にJリーグでプレーしようという海外組が出てくるかもしれないが、この記録はなかなか更新されないだろう(Q2の答え=中村俊輔)。
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May 07, 2020 at 04:10AM
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